花富の子守唄 〜けどみのこもりうた〜

私の生まれ育った加計呂麻島には、平地がなく急な斜面の貧しい土地にしか畑を作ることができません。若い働き手であった母親たちは、毎日畑仕事に 出、その間、子どもの面倒はお年寄りたちがみていました。このうたは、母やシマのお年寄りたちが唄うのを聞いて覚えたうたで、まだ5、6歳だった私も見様 見まねで妹をおぶって、唄って聞かせていました …

「かなしゃ愛のうた」ライナーノーツより

ハイよいよいよ ハイよいよ
ねんねんこ ねんねしれぃよ
いと子や ねんねしれぃよ ねんねしれぃよ

ハイよいよいよ ハイよいよ
阿母やよ 畑かちよ
飯め取りが うもちゃんど ねんねしれぃよ

ハイよいよいよ ハイよいよ
ぬが泣きゅり たまくがね
阿母やよ 畑からよ
飯め取てぃよ 戻りゅうど
ねんねんこ ねんねしれぃよ
いと子や 泣くなよ ねんねしれぃよ

(訳)
いとしい子よ ねんねしなさいよ

お母さんは畑に食べ物取りに行っているのですよ

どうして泣くの 最愛の子よ
お母さんは畑から食べ物を取ってもうすぐ戻ってきますよ
かわいい子よ 泣かないで ねんねしなさいよ

2012年6月14日

諸鈍から花富集落へと向かう途中で。
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左:花富から歩いて往復8kmの道のりを、妹とふたり毎日通った伊子茂小学校。当時は細い山道を裸足で通った。途中、お腹がすいて、決して多くはないお弁当に持たされたさつまいもを半分だけ食べたという。
右:校門の前に立って、いつも子ども達を見守っている人と記念撮影。

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(上の写真)海に突き出した山の向こう側に畑があったようです。お母さんは、畑仕事を終え、砂浜を伝って帰ってきました。
… 陽も落ちて暗くなった頃には、重かった妹を浜に降ろし、ふたり並んで母の帰りを待ちました。浜の向こうの方から、影絵のように近づいてくる姿、それほ ど暗くなるまで母は働いていたのですが、それが母だとわかった時には、ふたり駆けよっていったことをありありと思い出します。

「かなしゃ愛のうた」ライナーノーツより

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右:花富に到着。バス停で荷物を待つ人に声をかけたところ、同じ学校に通った同級生だった。懐かしさに胸が熱くなる。