「十九の春」、「嘉義丸のうた」、そして「戦時遭難船」。島唄のレジェンド、朝崎郁恵がうたい、ジャーナリストと語る、同じメロディーをもつ異なる歌の秘話。
【日時】 2019年8月15日(木) 開場18:00/ 開演19:00
【場所】 代官山『晴れたら空に豆まいて』
渋谷区代官山町20-20
モンシェリー代官山B2
【出演】 朝崎郁恵(唄者)、タナカアツシ(三味線)、川井龍介(ジャーナリスト、「『十九の春』を探して」の著者)
【チケット】 前売4,300円 / 当日4,800円
(共に1ドリンク代600円別途)
【入場】 ご到着順
【予約・お問い合わせ】 晴れたら空に豆まいて 03-5456-8880 (15時―22時)
公演詳細:http://haremame.com/schedule/66992/
概要 by 川井龍介
戦前、日本本土と沖縄、奄美諸島との間をはじめ、北から南まで植民地や占領地との間の物資の輸送や人の移動は、船(貨客船)によって行われた。太平洋戦争がはじまってからこうした民間の船は、アメリカの潜水艦の攻撃などに遭いつぎつぎに撃沈された。
こうした船を戦時遭難船というが、その数は2800隻ともいわれ、船員約6万人、船員以外の民間人約59000人、軍人約10万人が亡くなった。このなかでは学童疎開中の児童を乗せて遭難した対馬丸がよく知られているが、遭難船の全体像はほとんど知られていない。
戦時遭難船の一つに嘉義丸(かぎまる)という船がある。この船で娘をなくしたある母親のために「嘉義丸のうた」が、戦時中に加計呂麻島で朝崎辰恕という鍼灸師によって作られた。不思議なことにこのうたのメロディーは「十九の春」とほとんどおなじだった。さらに、このほかにも沖縄・奄美には同じメロディーの異なる歌がいくつか歌い継がれていた。
辰恕の長女でシマ唄の唄者である朝崎郁恵は、「十九の春」もレコーディングしているが、その後父がつくり地元でひっそりと歌われた嘉義丸のうたを、亡くなった人たちの供養と、父親への敬意をこめて歌い続けている。一方、ジャーナリストの川井龍介は、朝崎と知り合ったことから作者不詳の「十九の春」のミステリアスなルーツと戦時遭難船について取材をしてきた。
朝崎が「嘉義丸のうた」、「十九の春」そして島唄をうたい、「嘉義丸のうた」誕生の背景と加計呂麻島について川井とともにとともに語る。そして川井が「十九の春」をめぐる歌と戦時遭難船についてについて解説する。