様々な媒体に「あはがり」「かなしゃ愛のうた」の記事(2012.7.5)

アルバムレビュー

これまでに雑誌、新聞等に掲載されたアルバムレビュー・関連記事を紹介します。

● CD ジャーナル 7月号
CD新譜試聴記に「かなしゃ愛のうた」、「あはがり」共に掲載
CDジャーナルWeb版 アーティストページ

● 沖縄を愛する人々のための沖縄を感じるサイト TI-DA
CD新譜試聴記に「かなしゃ愛のうた」、「あはがり」共に掲載
新譜情報「CD Express」6月号

● 月刊奄美(南海日日新聞社) 6月1日
島唄の歌唱で童謡歌う

加計呂麻島出身の歌手朝崎郁恵さんの新譜「あはがり」と「かなしゃ愛のうた」のCDアルバム2枚が5月23日発売された。テレビ番組の主題曲のほ か童謡など新たな分野にも挑戦した意欲的な作品。特に、奄美と日本の童謡を島唄の歌唱法グインで歌いこなし、島唄の可能性を広げているのが注目される。
「あはがり」は、NHKBS「新日本風土記」のテーマソング。朝崎さんが作詞し、吉俣良さんが編曲した。あはがりは島の言葉で「すべてが明るい」という意味。他に「阿母(あんま)」「花ぞめ」も加え3曲 *あはがりのインストルメンタル付計4曲 入り。
「かなしゃ愛のうた」は、「朝崎さんの声で童謡を歌ってほしい」というファンの声で実現した。

出身地である「花富の子守唄」をはじめ「稲すり」「千鳥浜」「いきゃびき」など奄美の唄のほか、「竹田の子守唄」「赤とんぼ」など日本の童謡を独自の歌唱で歌いこなしている。
温かく、深く、包み込むような歌声をそよがせる「花富の子守唄」は、子どもを寝かすように独唱し、最後に「にゃー、寝(ね)ぷたど よぅりぐぁしゆうりよ(もう、眠ったようだよ、静かにしなさいね)」とささやく。
朝崎さんは解説の中で今の母親たちに「子守唄はお母さん、あなたの歌い方で歌い聞かせるのが良いです。それは子どもに安心を与える一番の愛情となって、きっと子どもたちの魂の宝物になりますよ」とメッセージを送っている。

● サンデー毎日 6月3日号「Music Cafe」
奄美の唄者がリリースした懐かしい童謡、子守唄、島唄

奄美大島には互いにかみ合う歯車のように接する加計呂麻島。いくつもの入り江にはいくつもの集落が張り付いている。その一つ、花富(けどみ)とい う集落で朝崎郁恵は生まれ育った。幼いころから島唄に親しみ、以来70年にわたって歌い続ける彼女の新作CD2枚が5月23日に同時リリースされる。
一つは、彼女が新たに作った自らのレーベル『花富』からの第1作である「かなしゃ 愛のうた」。
朝崎はこれまで伝統的な島唄を三味線とともに歌い込むと同時に、ピアノやギターなど西洋楽器とのコラボレーションも数多く重ねてきた。また、津軽三味線 の上妻宏光やいまは亡きアイヌ音楽の歌手、安東ウメ子ら他の伝統音楽とも積極的に関わってきた。奄美の島唄独特のグイン(こぶしのようなもの)をきかせ、 心地よい揺らぎを持つ朝崎のうたは。ポップスやロックミュージシャンからの評価も高い。細野晴臣もその一人だ。
新作「かなしゃ 愛のうた」では、新たな試みを聴かせる。中心となるのは童謡。
「数年前から童謡は歌わないのって言われてきましたが、童謡はきれいな声で歌うものだからとんでもないと思っていました。でもおばあちゃんが子供たちに聴かせるように歌うのならできるかなって」

そう考えて童謡をはじめ奄美の子守唄、島唄を集めた。有名なところでは「おぼろ月夜」「ゆりかごの歌」「赤とんぼ」。なるほど、おばあちゃんが語りかけるような優しさと懐かしさがある。
フォークソングとしても聴かれている「竹田の子守唄」や宮沢賢治が作った「星めぐりの歌」。この曲を細野晴臣が歌っているのをテレビで見て、朝崎は歌ってみたいと思い取り上げたという。
島唄からは代表的な「千鳥浜」をはじめ彼女が幼いころ聴いた「花富の子守唄」などだ。
これらの曲が、全体を通して少々凝ったアレンジでまとめられているところにこのアルバムの斬新さがある。その担い手はギター、バンジョーの城田純二、ブルースハープの松田ari幸一、ベースの天野SHOの3人だ。
フォーキーな彼らのサウンドが朝崎のボーカルの陰や表に立つ。アイリッシュのトラディショナルな雰囲気が出たり、幻想的なエレクトリック音が功を奏すことも。
もう一つのアルバム「あはがり」(テイチクエンタテイメント)は、朝崎が歌うNHK「新日本風土記」のテーマ曲など奄美民謡からなる。
《川井龍介氏》

● 南日本新聞 5月9日

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「あはがり」は、NHK「新日本風土記」のテーマ曲になっているタイトル曲や吉俣良(鹿児島市出身)作曲の「阿母」など4曲を収録した。

「かなしゃ…」は15曲入り。「竹田の子守唄」「赤とんぼ」なども収録している。「昔は母親が子どもに子守唄などを歌って聞かせていた。また母親たちが歌うきっかけなればうれしい」と語る。
10代から天才唄者と呼ばれた。結婚を機に奄美を出た後も歌い続け、都内で教室も開いた。「島唄はもっと知られるべき」という信念から、2002年にCD「うたばうたゆん」でメジャーデビュー。ピアノなど幅広い楽器の伴奏で歌うスタイルを確立した。
本来島唄の音程やリズムは、西洋音楽の楽譜に表しきれないという。「伴奏に歌を合わせるのではなく、歌を主体にしているから、島の人々にも受け入れてもらえた」
今も年間40〜50回、全国でライブをこなし、若いファンも多い。
「私が島で暮らしたころより、島唄は少しずつ変わっていっているように思う。これまでの集大成として、島唄を三味線だけの伴奏で音源に残したい」と創作意欲もおう盛だ。(後略)