海辺の生と死 初日舞台挨拶集合写真

映画「海辺の生と死」の初日舞台挨拶に出席させていただきました

テアトル新宿7/29(土)は、映画「海辺の生と死」の公開初日でした。この映画で朝崎は主演の満島ひかりさんが劇中で唄う奄美島唄の歌唱指導をさせていただきました。

奄美の島唄は、現代の音楽教育を受けて育った人にはとても難しく、人によっては一曲を覚えるのに一年以上かかる方もいます。しかし満島さんは数回のお稽古をしただけで、あっという間に何曲もの島唄を覚えてしまいました。おそらく対面でのお稽古の時間以外でとても努力をされたのだと思いますが、それにしてもこれはすごいことで、当時(映画の撮影に入る前)朝崎もしきりに感心していました。

海辺の生と死 初日舞台挨拶集合写真

舞台挨拶の席でも、ひさしぶりに再会した満島さんに朝崎が「奄美の島唄はとっても難しいのですが、10曲ほど指導しましたけど、これは難しいかなという曲も含め全部しっかりマスターしてくれました。」と賛辞を送ると、満島さんも「朝崎さんの島唄は、骨電動というのか、大地とつながり唄っていて、空気に音がついているような感じ。」と独特の感性で朝崎の島唄についての感想を返し、お互いに世代を超えて尊敬し合っていることが客席の皆様にも伝わったのではないかと思います。

朝崎がアカペラで「エーウミ」を唄うのを、じっと集中して聴き入っていたのが印象的だった満島さん。彼女は育ったのは沖縄ですが生まれたのは奄美でおばあちゃんが奄美の方だそう。そういう意味でも奄美はルーツの地。だからなのか「今でも疲れたりすると奄美の島唄を口ずさむんです」と語っていました。いつかは島唄で共演・・・なんてこともあり得るのでは?という期待を感じてしまうくらい二人の親密さが印象的な舞台挨拶でした。

映画「海辺の生と死」WEBサイト
http://www.umibenoseitoshi.net/

海辺の生と死 初日舞台挨拶満島さんと

 

越川監督と

「海辺の生と死」の越川監督と対談しました

越川監督と

2017年7月29日に全国ロードショーが始まる映画「海辺の生と死」(主演:満島ひかり)、の監督である越川道夫さんと対談させていただきました。

この映画で朝崎は、主演の満島ひかりさんが劇中で唄う奄美の唄の、歌唱指導を担当させていただきました。

限られた時間の中で、満島さんは驚異的な集中力で島唄を習得され、映画の中で何曲も披露しています。
そしてその「奄美島唄」は映画の中で非常に重要な役割を果たしています。
この映画に「島唄がないなんてそもそも考えられなかった」という越川監督との対談は、「映画と島唄の関係について」「満島ひかりさんの唄と演技について」「戦争について」その他、様々なテーマについて、撮影時のエピソード等も交えて語り合い、、短い時間の中ではありましたが非常に深く充実したものとなりました。

対談は、8月上旬にカルチャーサイト「CINRA」にて掲載されます。その際にはまたアナウンスしますので是非ご覧ください。

映画「海辺の生と死」公式WEBサイト
http://www.umibenoseitoshi.net/

縁~えにし~ 

先日、新宿のスタジオで、久しぶりのレコーディングがありました。
来春公開予定の出雲を舞台にした映画「縁(えにし)」※の挿入歌として、奄美でも最上級の祝い唄と言われる「朝顔」を唄いました。

出雲と言えば何を隠そう、朝崎がずっと「行って唄いたい。」と言い続けている地。
これまで、天河、伊勢、厳島神社、その他数々の神社やお寺で奉納をさせてもらって来ましたが、出雲はまだ訪れたことがないのです。

江草啓太さんの竪琴との音合わせ

江草啓太さんの竪琴との音合わせ

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2013年11月 奄美ツアー 加計呂麻島花富集落公演

花富公演 少し時間が経ってしまいましたけれど、2013年11月3日と4日に奄美で公演をしてまいりました。

3日の「奄美群島日本復帰60周年 瀬戸内町記念事業 音楽フェスティバル」は1000人以上の方に集まっていただき大盛況のうちに終えることが出来ました。
その時の様子は南海日日新聞さんが記事にしてくださいましたのでご覧ください。
http://www.nankainn.com/kiji/back13-1102-1108.htm#月
少し下の方に記事はあります。

そして、翌日4日にはプライベートに近い形で、私の生まれ故郷である加計呂麻島の花富集落の公民館で公演をさせていただきました。

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『奄美フェスティバル2013』が開催されました(2013.5.13)

amamifes_tokunosima『奄美フェスティバル2013』にお越しくださった皆さま、本当にありがとうございました。

福島幸義師匠の兄弟弟子にあたる武下和平様との久しぶりの共演ということもあり、朝崎自身もとても楽しみにしておりました。
ステージ上で、武下氏と二人並んでシマグチを交えて気さくなトークを繰り広げたシーンは、演奏以外での一つの見所となったことと思います。

amamifes_rokucho以下は乾杯の席で朝崎が語った言葉の要約です。
これをもって、このページを観てくださっている方への御報告の代りにしたいと思います。

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花富の子守唄 〜けどみのこもりうた〜

私の生まれ育った加計呂麻島には、平地がなく急な斜面の貧しい土地にしか畑を作ることができません。若い働き手であった母親たちは、毎日畑仕事に 出、その間、子どもの面倒はお年寄りたちがみていました。このうたは、母やシマのお年寄りたちが唄うのを聞いて覚えたうたで、まだ5、6歳だった私も見様 見まねで妹をおぶって、唄って聞かせていました …

「かなしゃ愛のうた」ライナーノーツより

ハイよいよいよ ハイよいよ
ねんねんこ ねんねしれぃよ
いと子や ねんねしれぃよ ねんねしれぃよ

ハイよいよいよ ハイよいよ
阿母やよ 畑かちよ
飯め取りが うもちゃんど ねんねしれぃよ

ハイよいよいよ ハイよいよ
ぬが泣きゅり たまくがね
阿母やよ 畑からよ
飯め取てぃよ 戻りゅうど
ねんねんこ ねんねしれぃよ
いと子や 泣くなよ ねんねしれぃよ

(訳)
いとしい子よ ねんねしなさいよ

お母さんは畑に食べ物取りに行っているのですよ

どうして泣くの 最愛の子よ
お母さんは畑から食べ物を取ってもうすぐ戻ってきますよ
かわいい子よ 泣かないで ねんねしなさいよ

2012年6月14日

諸鈍から花富集落へと向かう途中で。
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左:花富から歩いて往復8kmの道のりを、妹とふたり毎日通った伊子茂小学校。当時は細い山道を裸足で通った。途中、お腹がすいて、決して多くはないお弁当に持たされたさつまいもを半分だけ食べたという。
右:校門の前に立って、いつも子ども達を見守っている人と記念撮影。

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(上の写真)海に突き出した山の向こう側に畑があったようです。お母さんは、畑仕事を終え、砂浜を伝って帰ってきました。
… 陽も落ちて暗くなった頃には、重かった妹を浜に降ろし、ふたり並んで母の帰りを待ちました。浜の向こうの方から、影絵のように近づいてくる姿、それほ ど暗くなるまで母は働いていたのですが、それが母だとわかった時には、ふたり駆けよっていったことをありありと思い出します。

「かなしゃ愛のうた」ライナーノーツより

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右:花富に到着。バス停で荷物を待つ人に声をかけたところ、同じ学校に通った同級生だった。懐かしさに胸が熱くなる。

諸鈍長浜 〜しょどんながはま〜

加計呂麻島には、美しい砂浜がたくさんありますが、諸鈍の長浜は特別に長く美しい砂浜です。その美しさを讃え、それと同じように娘たちの美しさを唄ったうた。
沖縄には、大島征伐の際に長く逗留した琉球兵と諸鈍美人との間にロマンスが生まれ、琉球に帰って後も諸鈍の娘を忘れ難く、恋しい娘との別れを唄ううたがあるといわれます。

諸鈍ぬ長浜に 打ち上げ引く波や
諸鈍ぬ女童ぬ 笑い歯

茎諸鈍ぬ女童や 雪ぬゆな歯茎
何時が夜ぬ暮れて 御口吸おか

諸鈍ぬ長浜ぬ 大和がでぃ響む
諸鈍ぬ女童や 島中響む

浦々ぬ深さ 諸鈍ぬ浦ぬ深さ
諸鈍ぬ女童ぬ 思めぬ深さ

あぬ雲を見りぃば 風連れてぃ行きゅり
吾ぬや加那連れてぃ 行きやならぬ

あぬ雲ぬ下に加那が うもりゅんち思めば
雲や押しはねてぃ 抱ちゅてぃ見欲しゃ

(訳)
諸鈍の長浜に寄せては返す白波は
諸鈍の娘の微笑む白い歯並みのようだ

諸鈍の娘は雪のような白い歯並みをしている
いつ日が暮れて口づけをしようか

諸鈍長浜は大和まで知れ渡っている
諸鈍の娘が美しい事は島全体に知れ渡っている

諸鈍の沖はとても深い
諸鈍の娘の思いはそれ以上に深い

あの雲を見ていると風に吹かれて動いていく
私は恋人を連れて行くことができない

あの雲の下に恋人がいると思えば
雲を押し払ってでも恋人を抱いてみたい

2012年6月13日

梅雨明け間近、台風4号が接近中の奄美に行ってきました。この日は、5月23日リリースしたCD「あはがり」「かなしゃ 愛の唄」のプロモーションで南海日日新聞社、あまみエフエム、セントラル楽器さんはじめ名瀬のCDショップへ。

2012年6月14日

加計呂麻島に渡りました。

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加計呂麻側からみた曇り空の大島海峡

まずは、毎年旧暦9月9日「諸鈍シバヤ」が催される諸鈍集落・大屯神社へ。
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左:諸鈍の区長・脇田さんと。右:大屯神社には平資盛が祀られている。

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諸鈍シバヤ(国無形文化財)

大島海峡を挟んで奄美大島南岸と向かい合う位置にある加計呂麻島。文治元年壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びた平資盛一族は、加計呂麻島の諸鈍に居城を構 えたと伝えられ、その時郷を慰めるたねに始められたという。「シバヤ」は「芝居」と書き、青紫(椎)の小枝で囲まれた楽屋のことで、狂言や風流踊りなどの 特徴から、四・五百年前に諸鈍が海上交通路の要衛として栄えた頃、中国や大和、琉球等から伝わったものが一つの村芝居としての祝福芸能となったと思われ る。一時中断した時期があったものの約800 年も続く伝統芸能で、毎年旧暦9月9日(今年は10月23日)に平資盛が祀られている大屯神社で上演されます。踊り子は全員男性で、主に「カビデイラ」と 呼ばれる手作りの紙の仮面をつけ、「サンバト(三番叟:芝居の前口上)」から始まり、吉田兼好を歌った「兼好節」・琉球風の豊作を祝う「鎌踊り」・中国の 剣舞に似ている「スクゥテンガ」・平敦盛卿を偲ぶ「ククワ節」・「ダットドン(座頭殿:狂言風寸劇)」・「タマツユ(玉露:人形劇)」・琉球風の棒踊り 「スコテングゥ」などの踊りや寸劇を演じます。
*今年(10月23日)は、ここで唄わせていただきます。

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左:瀬戸内町の文化財に指定されている「諸鈍長浜」に沿って植えられたデイゴの並木。樹齢300年にもなるデイゴが80本以上も連なる。琉球王朝に支配さ れていた時代「那覇世」に、琉球からの文物の流入口として栄えた良港・諸鈍長浜の目印として、夜目にも見える赤い花を咲かせるデイゴを植えたといわれる。
右:害虫にやられてこの三年ほど花がつかなったが、手だてを施したところ今年はいくつかの花が咲いた。